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芸能界の華やかな舞台の裏で、静かに育まれてきた家族の物語があります。
元タレントの三宅えみさんと俳優・谷原章介さん。
2007年に結婚した二人は、「授かり婚」という言葉がまだ冷ややかな響きを持っていた時代に新しい一歩を踏み出しました。
世間の視線にさらされながらも、彼女らはその選択を「愛の証」として抱きしめます。
やがて六人の子どもに恵まれ、祖父母も含めた十人家族の賑やかな暮らしを築き上げました。
この記事では──
- 二人の出会いから再婚に至る道のり
- 「授かり婚」をめぐる当時の社会の空気
- 子どもたちとともに育まれた家族の絆
- そして今も続く夫婦の未来へのまなざし
を、ひとつひとつ丁寧にたどっていきます。
目次
第1章 事実でたどる二人の歩み
十二月の冷たい風が吹く日に生まれた三宅えみさん。
若い頃の彼女は、華やかさよりも人懐っこさで人の心に残るタレントでした。
テレビの向こうで笑うその姿は、どこか「隣にいそうな女の子」の親しみやすさを漂わせていました。
2001年、ドラマ『救命病棟24時』第2シリーズで谷原章介さんと出会います[1]。
彼は白衣をまとった外科医役、彼女は看護師役。
ただの役柄にすぎなかったはずなのに、後から振り返ると、ふたりの未来を結ぶ細い糸が静かに張られた瞬間だったのかもしれません。
撮影現場のざわめきや、待ち時間に交わした何気ない挨拶が、長い歳月を経て意味を持ち始めるのです。
その後、三宅さんは2003年に俳優・いしだ壱成さんと結婚し、翌年に長男・七音(ななと)さんを出産。
けれど2006年、生活の歯車はかみ合わなくなり、二人は別々の道を歩むことになります。
小さな命を抱きながらの離婚は、彼女にとって決して軽い選択ではなかったでしょう。
同じ2006年、谷原さんの舞台を観に行った夜がありました。
観客席の一角で彼の姿を見つめたとき、忘れかけていた感情が胸に蘇ったのかもしれません。
再び連絡を取り合うようになり、互いの欠けた部分を埋め合うように距離を縮めていきます。
2007年1月、妊娠が分かり、3月に再婚。
会見で谷原さんが「順番間違えました!」と声を張ったとき、会場には大きな笑いが広がりました[2]。
けれどその笑いは、ただの冗談ではなく、世間の厳しい視線から彼女を守ろうとする精一杯のユーモアでした。
その一言に救われたのは、記者たちではなく、隣に立つ彼女自身だったのでしょう。
今では子どもは連れ子を含め6人。
祖父母を合わせれば10人の大家族[3]。
食卓に並ぶ皿は山のようで、台所は一日中にぎやかな戦場。
けれど、その喧騒こそが彼女らの絆を確かにしているのです。
第2章 授かり婚に宿る愛
2000年代半ば、授かり婚はまだ「できちゃった婚」と呼ばれることが多く、世間の視線は今よりずっと厳しいものでした。
新聞や週刊誌の見出しには冷ややかな響きが並び、ネットの書き込みにも皮肉が溢れる時代。
順番を違えたというだけで、ふたりの選択はしばしば好奇の目にさらされる。
けれど、彼女らにとって命の誕生は後ろめたさではなく、絆のしるしでした。
お腹の中で芽生えた小さな鼓動が、ふたりを結び直す結び目となり、やがて家族というかたちをかたく抱きしめていきます。
谷原さんが会見で放った「順番間違えました!」という言葉は、世間の批判を笑いに変える盾でもあり、彼女へのささやかな愛の告白でもあったのでしょう[2]。
年月を重ねた今、彼女らは六人の子どもを育て、祖父母も含めた十人家族となりました[3]。
リビングにはいつも誰かの声が響き、学校の話や小さなけんか、泣き声と笑い声が交じり合います。
大皿に盛られた料理を囲むとき、ふたりはあの日浴びた冷たい視線を思い出すこともあるのかもしれません。
けれど、その記憶さえも、いまでは笑い合える温もりの背景に溶けているのです。
授かり婚だったからこそ得られたもの。
それは後悔や恥ではなく、確かな日々の重なりと、子どもたちの未来をともに育む喜び。
世間がどう呼んでも、彼らの心の中では、あの選択は「愛の証」そのものでした。
第3章 家族と子どもたちへのまなざし
再婚を決めたとき、三宅えみさんのそばにはまだ幼い長男・七音(ななと)さんがいました。
谷原章介さんは、その小さな存在を血のつながりではなく「ひとりの子ども」として見つめ、抱きしめました。
入学式の小さな背中に手を添え、運動会のトラック脇で声を張り上げる。
父と子として過ごす時間の一つひとつが、彼らのあいだに目に見えない根を張っていきました。
最初はぎこちなかった会話も、食卓での笑い声に溶けて、気づけば自然なものへと変わっていたのです。
その後、家族に新しい命が次々と加わりました。
泣き声と笑い声が交差するリビングは、まるで小さな劇場。
年の離れた兄弟姉妹が互いを育て合い、母はその真ん中で目を配り、父は仕事帰りに子どもたちの話を聞く。
暮らしの断片すべてが、絆の証しとして積み重なっていきました。
七音さんはやがて俳優を志し、2024年にはジュノン・スーパーボーイ・コンテストで賞を受けました[4]。
インタビューで彼は「一人の役者として父を尊敬している」と語っています。
その言葉には、単なる義理や形式を超えた親子の信頼がにじんでいました。
血の濃さよりも、共に歩んできた時間の深さが、確かな絆を形づくっているのです。
第4章 夫婦の絆と未来
谷原章介さんはインタビューで
日々の晩ごはん作りは
心を整える大切な時間。
仕事のモヤモヤを
リセットするのに最適です。
と語っています[5]。
帰宅すれば玄関には子どもたちの靴が並び、台所へ向かう谷原章介さん。
その瞬間、張りつめていた肩の力がふっとほどける。
リビングでは宿題に奮闘する姿や、楽器を練習する音が入り混じり、時には小さなけんかの泣き声も。
けれど、そうした雑多な音こそが、彼にとって最も愛おしい「家庭のBGM」なのかもしれません。
一方で三宅えみさんは、芸能界を離れ、母としての役割を全力で果たしています。
六人の子を抱える日々は、時間に追われる嵐のようです。
朝はお弁当作りから始まり、昼は学校や習い事の送り迎え、洗濯機を何度も回す。
そのひとつひとつの営みが、家族の土台を支えています。
夫婦は違う場所で奮闘しながらも、目指す先は同じ。
笑い声の絶えない家を守ること。
すれ違うこともきっとあるでしょう。
けれど夜の食卓で、皿を運ぶ手と手が交わる瞬間に、互いの存在を確かめ合っているのです。
第5章 授かり婚が残したもの
「できちゃった婚」と呼ばれたあの日の選択。
順番を違えたことは、世間から冷たい視線を浴びる理由にもなりました。
あの会見で笑いを取ろうとした谷原章介さんの声の奥には、批判から家族を守ろうとする必死さが潜んでいたのかもしれません。
けれど、その選択がなければ、今の家族は存在していません。
授かった命がふたりを夫婦にし、やがて六人の子どもたちを育む母と父へと変えていったのです。
夕方のリビングには、ランドセルを放り投げる音と、習い事の楽器の音が重なります。
食卓には大皿が並び、祖父母も加われば十人分の賑やかな宴に[3]。
台所で三宅えみさんが立ち働く姿を、谷原さんが「今日は何を手伝おうか」と声をかける。
そんなささやかな場面の積み重ねこそが、授かり婚の先に広がった日常です。
順番よりも大切なもの。
それは、目の前にある命に向き合い、愛を重ねること。
世間がどう呼んでも、子どもたちの笑い声が証明しているのは、ふたりが選んだ道がまぎれもなく正しかったということなのでしょう。
【芸声B語】:結びにかえて――授かり婚をめぐる社会のまなざし
▼ 2000年代、授かり婚はまだ「できちゃった婚」と呼ばれ、どこか冷ややかな響きを帯びていました。
芸能ニュースではその言葉が太字の見出しで並び、順番を違えた夫婦の選択は、しばしば好奇の目で語られたのです。
▼ けれど、いまでは「授かり婚」という言葉に置き換えられ、ニュアンスも少しずつ柔らぎました。
SNSには「順番よりも命を大切にする方が素敵」という共感の声が溢れ、若い世代の受け止め方もずっと寛容になっています。
▼ 三宅えみさんと谷原章介さんの選択も、その大きな変化の中で語られるひとつの物語です。
「順番を間違えた」と笑いに変える強さ。
授かった命を真っ直ぐに抱きしめ、互いに向き合おうとする覚悟。
その二つがあれば、家族はかたちを築いていけることを、彼らは示してきました。
▼ 問いかけられているのは、私たち自身かもしれません。
「常識」とされてきた順序や形式よりも、目の前にある命にどう応えるか。
家族の始まりに正解があるのではなく、積み重ねた日常の中に答えがあるのだと。
ふたりの歩みは、その静かな真実を私たちにそっと教えてくれています。
参考・出典一覧
[1] フジテレビ『救命病棟24時』第2シリーズ出演情報[2]ORICON NEWS「谷原章介、会見で“順番間違えました”」
[3] FRaU 「いかに野菜を食べてもらうか」10人家族の晩飯担当・谷原章介の「回鍋肉」レシピ
[4] スポーツ報知「谷原七音、ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト受賞」
[5] オレンジページネット「谷原章介さんインタビュー「10人家族の晩ごはんを、日々作っています」」
夫・谷原章介さん側から見た家族の風景はこちらからご覧ください
⇒谷原章介の結婚歴まとめ|三宅えみとの馴れ初めや6人の子供たちとの生活を徹底解説