幼い頃から宝塚歌劇団にあこがれて、姉・木南清香さんと俳優を夢見ていた木南晴夏さん姉妹。2人は姉妹そろって俳優の道へ進むことになります。
今回は芸能活動の合間に学業もきっちりとこなしていた木南晴夏さんの大学・高校と学生時代から俳優になるまでの道のりを調べてみました。
目次
木南晴夏は國學院大學文学部卒
木南晴夏さんは高校卒業後、2004年4月に國學院大學文学部入学、2008年3月に卒業しています。
大学では韓国語・英語・中国語を習得
木南晴夏さんは國學院大學文学部で韓国語・英語・中国語と3か国語を習得し、4年間で卒業しています。学業と芸能活動を同時にこなすのは並大抵のことではありません。
1か国語を習得するのも大変なのに、3か国語を習得した木南晴夏さんはとても優秀な人だと思われます。
國學院大學文学部を目指したきっかけ・動機
木南晴夏さんが國學院大學文学部を目指したきっかけ・動機については公表されてないため不明です。以下推察してみます。
- 教養を身に着けるため
将来、役者他の仕事に教養があれば有利なので - 役者としての幅を広げるため。
「素直になれなくて7」など外国人の配役に対応するため - バラエティー番組でのキャラ作りのため
木南晴夏さんが実家から通っていた雲雀丘(ひばりがおか)学園高校は進学校として知られており、その影響で大学進学が意識の中にずっとあったからかも知れません。
木南晴夏の大学生活と芸能活動
木南晴夏さんは大学入学後、2004年に『桜咲くまで』で女優デビュー、学業と並行して女優としての活動も始めます。大学2年生だった2005年からはバラエティ番組「不幸の法則」の再現ドラマにも出演、幸子役が好評を博し木南晴夏さんは徐々に注目され始めます。
大学卒業後の映画・ドラマへの出演
木南晴夏さんは2007年に大学を卒業本格的に女優の道を歩み始めます。その時、女優人生の転機となる作品に巡り合います。
2009年映画「20世紀少年」出演が女優人生の転機に
映画「20世紀少年」のオーディションはヒロインを募集するもので、ヒロインに落ちた人が他の役に選ばれるという形式のものでした。木南晴夏さんはヒロインを狙って応募しますが、選ばれたのは友達役の小泉響子役でした。
木南晴夏さんにはヒロインに落ちたっていう感覚がずっと残り主役になれない事に悩んでいたようです。そのため木南晴夏さんはこの役を断るつもりでしたが、マネージャの説得もあり受けることになります。
結果、「20世紀少年」では脇役である小泉響子役が漫画のキャラそっくりと話題になり、作者・浦沢直樹さんからも高評価されることになります。
木南晴夏さんはヒロインだけでなく友達役や脇役でも評価され注目されることを知り、役者として作品に向かい会う心境に変化があらわれといいます。「20世紀少年」は木南晴夏さんの代表作となり、以降多くのドラマや映画への出演依頼が舞い込むこととなります。
2010年ドラマ「素直になれなくて7」出演で韓国語を磨く
このドラマでは、木南晴夏さんは韓国人・パク・ミンハ 役で出演、「1年間ほかの仕事を入れない」ことが出演の条件であったため、これを機に1年間韓国語学校に通学して韓国語をマスターしたと言われています。大学で習得した韓国語が生かされ、さらに韓国語に磨きをかけることになります。
木南晴夏の出身高校
木南晴夏さんは実家のある地元兵庫県の高校に進学し、後に芸能活動のため東京の高校へ転校しています。
地元兵庫県では雲雀丘学園高等学校に在籍
木南晴夏さんは兵庫県宝塚市にある私立雲雀丘(ひばりがおか)学園高等学校に2学期まで実家から通学、その後芸能活動に取り組むため東京へ単身引っ越し、東京の高校へ転校します。
雲雀丘学園高校は、宝塚市にある私立の併設型中高一貫の普通科男女共学高校です。進学校でもあり、大学への進学実績は優れているようです。その反面、校内での携帯電話禁止など校則は厳しいようです。
雲雀丘学園高校出身者には、岩本乃蒼(アナウンサー・元モデル)、紺野まひる(俳優)、西川弘志(元俳優)、西川忠志(俳優)、青山美郷(俳優)、松下なごみ(YouTuber、Instagramer)、壮一帆(女優、元宝塚歌劇団)がいます。
ところで、木南晴夏さんには、「兵庫県立宝塚北高等学校」出身説もあります。「夏の高校野球PR女子高生」としてテレビ出演したとき着用していた制服が、「宝塚北高等学校」の制服に似ているからだといわれています。
しかし、木南晴夏さんの通学していた高校は雲雀丘学園高等学校で間違いないようです。
木南晴夏さんの通学していた高校は雲雀丘学園高等学校である根拠
- ①木南晴夏さんと相武紗季さんは高校の同級生
A-Studio+(2024年4月19日放送)で明らかに - ②相武紗季さんは雲雀丘学園高等学校出身
ごぶごぶ(2018年7月3日放送)で明らかに - ③ ①と②からわかること
木南晴夏さんは雲雀丘学園高等学校出身
東京での高校は?
木南晴夏さんは芸能界で仕事を始めるには、19歳、20歳になってからでは遅いと思っていたようで、雲雀丘学園高等学校には1学期(2001年8月)まで在籍し、2学期(2001年9月-2004年3月)からは東京の高校へ転校し芸能活動を始めます。
16歳で上京したとき、木南晴夏さんはホリプロの寮に入ります。同じ頃「ホリプロスカウトキャラバン」のグランプリ受賞を受賞した浜口順子さん、深田恭子さん、綾瀬はるかさんたちはホリプロの寮で生活しながら、その頃寮の近くのあった堀越高等学校に通っていました。
そのため木南晴夏さんも東京では堀越学園高校に通っていたと言われています。けれども、一方で堀越学園高校に通っていないという指摘もあります。
堀越学園高校卒業生でないと思われる理由
- 理由①「みんなの高校情報」内の「堀越高等学校 出身の有名人」一覧
→そこに木南晴夏さんの名前が見当たらない - 理由②卒業時に卒業生が恒例として記者会見を行う
→ほとんどすべての卒業生(元在籍者)が判明
→メディアが報道
→そこに木南晴夏さんの名前が見当たらない - 理由③卒業生から木南晴夏さんについて学生時代エピソード等が一切語られない
→同年代の卒業生:山下智久さん・城田優さん・蒼井優さん・小池徹平さん・上戸彩さん
→一方、木南晴夏さんからも卒業生・学生生活については語られない
木南晴夏さんの東京での在籍高校は公式な発表はなく不明です。けれども、國學院大学進学は既定の事実なので、大学進学に必要な高校卒業資格を取得したことは間違いないようです。
相武紗季とは幼馴染?
木南晴夏さんと相武紗季さんは幼いころから、同じミュージカルスクールにも通っていたことから知り合いになります。高校も同じ雲雀丘学園高等学校に進学します。
木南晴夏さんは高1の時にABCの「夏の高校野球PR女子高生」に選ばれ、翌年には相武紗季さんが選ばれています。
木南晴夏さんは姉で今はミュージカル女優の木南清香さんと一緒に、当時ミュージカルスクールに通っていました。そのため、木南晴夏さんの姉・清香さんと相武紗季さんの姉・音花ゆりさんを含めた4人も幼馴染のようです。
高校時代の芸能活動
東京へ転居後の芸能活動(高校時代)
- 2001年(16歳):ホリプロのオーディションでグランプリを獲得
- 2002年(17歳):芸能界デビュー
- 2002年(17歳):女性アイドルユニット「テレ朝エンジェルアイ2002」のメンバーに選出
- 2002年(17歳):アイドルグループ「Licca」が結成されCDデビューを果たす
「テレ朝エンジェルアイ2002」では、テレビ朝日のマスコットキャラクターとして各種イベントやテレビ番組に出演、イメージビデオ・DVD、トレーディングカード、写真集等といった関連グッズを製作・販売していました。
「Licca」の構成メンバーはホリプロ所属の酒井彩名、あびる優、木南晴夏の3人です。シングルCDはget back(2002年3月27日)・GOOD LOVE(2002年7月17日)・夢みるシャンソン人形〜今度逢うときはもっと〜(2003年3月26日)、アルバムにはGRADUATION(2003年3月26日)があります。
木南晴夏の中学生時代
小南晴夏さんの出身中学校は大阪府豊中市内の公立校のようですが、特定するに至りませんでした。中学生の頃の部活等も不明です。
ただ、木南晴夏さんは進学校の雲雀丘学園高等学校へ進学していることから、学業は優秀だったようです。
木南晴夏の小学校時代
小南晴夏さんの出身小学校は大阪府豊中市内の公立校のようですが、特定するに至りませんでした。小南晴夏さんは宝塚歌劇団への入団を夢みてか、ミュージカルスクールにも姉妹で通っていました。
木南晴夏の人物像・現在の活躍と今後の展望
木南晴夏さんのその他の人物像
- クラシックバレエ・日本舞踊・ダンスなどの特技を持つ
ストイックに取り組む性格 - 食生活アドバイザー・パンシェルジュの資格を持つ
母親がパンに関係した仕事をしている影響か - 好きなことに対する情熱・興味があることは何でも挑戦する姿勢を持つ
芸能界という特殊な世界で新たなチャンスをつかむため
木南晴夏さんの人物像から見て、今後も情熱・興味があることは何でも挑戦して行くように思われます。その一つの活動として「キナミのパン宅配便」というユニークな活動があります。
木南晴夏さんがセレクトしたパン屋さんのおすすめの冷凍パンセット(7〜9個入り)を、毎月1回お届けするという企画の様です。このような芸能活動と並行しての活動も見逃せんね。