子犬と戯れる高橋さん。高橋幸宏さんといえば、かつてテレビの音楽番組やライブで活躍していたYMO(イエロー・マジック・オーストラリア)のメンバーとして、ドラムを叩くシーンを思いうかべるファンが多いのではないでしょうか?
ドラマーって、なんかバンドを仕切っているようでかっこいいですよね!そのうえ彼はルックスもいい。
そんなわけで、もし高橋さんに息子さんがいたらお父さん譲りのイケメンドラマーとして活躍されているのではないか?
とても気になったので調べてみました。
目次
高橋幸宏に息子、娘以前に子供がいない!
残念ながら、息子さんはいないようです。
では娘さんはいるかというと、娘さんもいないようです。
(上の写真は、二人目の奥様と知人の子ども?)
高橋幸宏はバツイチ!
子供がいないのは独身だったからというわけではありません。
幸宏さんには2回の結婚歴があるようです。
そのうえ不倫歴も!
高橋幸宏の一人目の嫁(妻)は恵美子
初めの結婚はフラワーデザイナーの東郷恵美子さん。
同じデザイナーとして、幸宏さんとは話が合ったのかもしれませんね。
しかし、結婚は長く続かなったようです。
離婚理由は中原理恵との不倫?
1984年に高橋さんがプロデュースした中原さんのアルバム「LADY麗(REI)―RIE―」のアルバム制作をきっかけに、六本木や赤坂でのデートが始まったようです。
幸宏さんは嫁恵美子さんと1984年末に別居し、中原さんとの不倫交際が始まりました。
1987年7月には離婚し、中原さんと同棲を始めましたが、子どももできず結婚に至ることなく関係は終わることになったのでした。
高橋幸宏の二人目の嫁(妻)は高橋喜代美
幸宏さんの二人目の嫁高橋喜代美さんは、「装苑」(文化出版局)・「non-no」(集英社)のモデルをしていて、とてもお綺麗な女性です。当時、「しもい・きよみ」という芸名でご活躍されていましたが、結婚を機にいったん引退されました。
喜代美さんとの夫婦関係はとてもよかたようです。
晩年の幸宏さんの闘病生活を支えお亡くなりになるまで連れ添いました。
高橋幸宏に子供がいなかった理由
夫婦のプライベートの話でもあり、はっきりとした理由は不明ですが結婚当時の状況から推測してみました。
年齢
幸宏さんは1952年生まれで、一人目の嫁、恵美子さんも同じような年代と思われ、結婚当時、幸宏さん恵美子さん共に20歳代と考えられます。
二人目の嫁、喜代美との結婚は1985年頃で喜代美さん30歳、幸宏さん33歳頃です。
二組とも年齢的な問題はなさそうです。
体質・健康面
結婚当時、幸宏さんや二人の奥さんには大きな病気にかかったことは確認されませんでした。
しかし生殖器関係の病気については夫婦のプライバシーに関することなのでよく分かりません。
生殖器関係の病気で子供ができなかったとしても、仕事上不妊治療する時間的余裕がなかったのかもしれませんね。
高橋幸宏は生前、子供を望んでいたのか?
高橋幸宏さんが生前子供を望んでいたかどうかは確認できませんでした。
奥様が何らかの理由で子供を望んでいなかったのかもしてません。
夫婦双方、あるいはどちらかが仕事を優先して避妊していたのかもしれません。
望んでいて子どもできなかったとしても、不妊治療を積極的にしたかは疑問です。
子どもは授かりものとして、自然な成り行きにまかせていたのでないでしょうか。
子供(息子)さんがいない代わりに愛犬のパスキャル君をとてもかわいがっていたようです。
パスキャル君の写真がFacebookに多く投稿されているのも、うなづけますね!
高橋幸宏は生前、どんな活動をしていたの?
幸宏さんの家族・親族には音楽プロデューサー・ファッション界における広報の第一人者・ファッション・ブランド「soe」のデザイナー・ボイスアクター・近代文学研究者・モデルなど多彩な人物います。
その影響を受けてか多彩な芸能活動をしていました。
音楽活動
YMO(イエロー・マジック・オーストラリア)のドラマーとして有名な幸宏さん。
その他の音楽活動としては、
- 音楽プロデュース
竹中直人・安田成美 など - 作詞・作曲
桜田淳子・竹内まりや など - 演奏参加
BUZZ・山下達郎 など
があります。
デザイナー活動
高橋幸宏さんっておしゃれですね。高橋さんは武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン学科を中退しています。のちにファッションデザイナーとして、自社ブランド「Bricks」「Bricks-Mono」「YUKIHIRO TAKAHASHI COLLECTION」を手掛け、YMOが着ていたジャケットも自身が手掛けたとのこと。
作曲だけでなく、衣装も手掛けるなんてすごいですね。
俳優活動
大林宣彦監督の『四月の魚』の主演俳優として映画にも関わっていました。
高橋幸宏の死亡原因
2020年に脳腫瘍の摘出手術を受け無事に成功し後遺症も見られなかった。
その後、年齢と共に徐々に容体が悪化していったようです。
脳の病気と誤嚥性肺炎
2023年1月11日午前5時59分、脳腫瘍から併発した誤嚥性肺炎のため長野県軽井沢で死去されました。享年70歳でした。
高橋幸宏さん甥(高橋家の次女の息子)・大岩Larry正志さん(上の写真)がXで追悼しています。